Statement
今年も桜の季節がやってきました。昨年ご好評いただいた桜とグロテスクについての作品展「桜のしたのしたいしたしたした あるいは美の根底にある腐爛についての作品展」の第二回を開催いたします。
美の洞窟にしたたる腐爛について ~立ち枯れの木、あるいは満開の桜
"した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。" ——折口信夫(釈迢空)『死者の書』より
折口信夫の小説『死者の書』は、冷たい岩窟(いわむろ)を伝う雫の音に、男が目を覚ますところからはじまる。
"ああおれは、死んでいる。死んだ。殺されたのだ。――忘れて居た。そうだ。此は、おれの墓だ。"
黝(くら)い洞窟の湿った岩牀(いわどこ)に横たわる屍体。己の非業の死を思い出したその男、大津皇子はこの世から忘れ去られたことへの孤独と執着に苦悶して起き上がる。その姿は現し身を持たない「岩屋の中に矗立(しゅくりつ)した、立ち枯れの木」のようだった。
"桜の樹の下には屍体が埋まっている!" ——梶井基次郎『桜の樹の下には』より
昨年4月、Gallery 幻 では梶井基次郎の小説『桜の樹の下には』に基づく企画展「桜のしたのしたいしたしたした あるいは美の根底にある腐爛についての作品展」を開催した。
爛漫と咲き乱れる桜の生々しい命や美に、むしろ不安や空虚を感じてしまう。その憂鬱を晴らすには、桜の根底に腐爛した屍体があるという、まるで「墓場を発(あば)いて屍体を嗜(この)む変質者」のようなグロテスクな「透視術」を必要とする。
"俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んでくる。"
『桜の樹の下には』で描写されるそのような感性や幻視は、まさに芸術家の創作行為そのものではないか。そうした思いから企画した。
"馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。" ——梶井基次郎『桜の樹の下には』より
そもそも、グロテスク(grotesque)という言葉は「洞窟、地下墓所(grotta 伊)」に語源を由来する。ローマ帝国時代の地下遺跡、黄金宮殿(Domus Aurea)から見つかった奇妙な装飾——動植物や人間が渾然一体となって過剰に象られた模様——がルネサンス芸術に取り入れられ、グロテスク(=地下洞窟の)装飾と呼ばれた。やがてこれが、醜怪、不気味なものをも意味するようになる。
『死者の書』において、地下洞窟の孤独な屍体である大津皇子は、己が生きた証として生者の女、藤原南家の郎女(いらつめ)を醜怪に欲し求める。しかし、郎女が皇子のために選んだ行動は、凍える彼の身を覆う布を織り上げ、そこに目かがやくばかりの宮殿と、かつて幻視した金色に照り充ちた皇子の彩画(たみえ)を描くこと——つまり、彼のための芸術を遺すこと——だった。
した した した。気がつけば、冷たく空虚な洞窟で私は目覚めた。その憂鬱な地下墓地で動植物とも人間とも思えぬ自らの屍体を発きながら、水晶のような体液を画布に塗り込め、幻視の中の宮殿を描き続ける。芸術とは、そのグロテスクな腐爛からときに矗立する立ち枯れの木のようなものであり、満開に咲き誇る桜のようなものでもあるだろう。
文・小林義和(Gallery 幻)
参照LINK
>>桜のしたのしたいしたしたした あるいは美の根底にある腐爛についての作品展
2025年4月に開催した第一回
>>青空文庫 / 梶井基次郎『桜の樹の下には』新字新仮名
とても短い掌編小説なので、未読の方はぜひ一読をおすすめいたします
>>青空文庫 / 折口信夫『死者の書』
こちらはそこそこ長いです
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販売期間:4月5日(日) 20:00 - 4月12日(日) 19:00

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